これは、新しい記事ではありません。
昨年の11月から、初心者ブロガーとして心がけていることや大切にしようと思うマインドを綴っております。(辞めることも検討中なんですけど。笑。)これは最初の3か月分です。
ホントに短く一言ずつにするつもりだったので、最初は同じページを更新していくというスタイルでした。(固定ページを使用。)
でもその後、コラムというメニューを作ったので、このページも移動することにしました。
それで新記事っぽくなってしまうのですが★。これは過去記事の引越しです。
しみじみと思い出します。
2020年1月 心機一転
2019年を振り返って、私にとって一番大きな変化は「ブログを始めたこと」でした。ブログをやってみたいと考えてから、7年後のスタートでございました。(詳細は「ブログと私、7年間のタイムライン」にあります。)
実際にブログを開設したのは4月でしたが、きっかけとなった朝活を始めたのは2019年1月でした。
グチグチと悩みを言いまくったり、ぐるぐると頭の中で考えているだけの自分を変えたくて、「新年」を利用して気持ちを入れ替えようとしていましました。
まさに、「心機一転がんばりたい」という感じでした。
漢字・・・「新機」にしてしまいそうですよね。新しい、みたいな。
正しくは「心機」で「心の動き」という意味だそうです。
ある動機をきっかけとして、すっかり気持ちがよい方向に変わること。また、あることをきっかけに、すっかり気持ちや心をよいほうに入れかえること。▽「心機」は心の働き・心のはずみ・気持ち。「一転」はまったく変わる、がらりと変わること。
引用元:オンライン辞書 goo
「状況を一転させる」のは大変でございます。自分の意志だけではどうにもならないことも絡んできます。
でも、自分の心の持ち方は、どんな状況にあっても、自分に選択肢があるんですよね。
心の動きを一転させる、ということは、本当はいつでもできることです。
・・・とはいえ、心の持ちようを変えるのも中々大変なものでございまして。
そんなときに「きっかけ」を作り出して、それを味方にすると自分を後押しできるような気がします。「新年」はまさに絶好の機会です。4月とか、成人とか、引っ越しや結婚も最たる例ですね。
ものすご~く小規模で単発的な「心機一転」の思い出があります。
中学校1年生のときの「体育の跳び箱のテスト」です。テストの日まで飛べないままだった段が、テストの課題になっていました。笛が鳴る直前、確かに私は気持ちを180度入れ替えていました。
「もーしょーがない、テストだ、失敗してもいい!いや、飛ぶ!!!ゼッタイ飛ぶ!怖くなんかない!」みたいな。
そしたら飛べました。
身体能力的には、テスト前とテスト中で変化はないはずです。跳び箱の高さも変わっていません。
違ったのは気持ちだけ。心だけ。
その日の授業の最後、先生に名指しで褒められました。いつもと全く違う気持ちで挑んでいたと。自分でも走っている途中の感覚を覚えているくらいなので、表情に出ていたのでしょう。そんな一瞬を見てひろってくださるなんて、すてきな先生だなと思います。
・・・と、跳び箱くらいならば、気持ちの持ち方で結果を一転できちゃう。
簡単なことなら、気持ち1つでどんどん変化します。大きいことはそう簡単にはいきませんが、それでも小さな変化が高く積み重なったり、曲がり角を作って、大きい変化へとウネリができるのかなと思います。
「毎日の新しい朝」をきっかけにできるようになったら無敵かもしれないですねー。
まずは再び、新年をきっかけに。
心機一転、がんばりたいです。
2020年もよろしくお願いいたします。
2019年12月 A watched pot never boils.
デザインはCanvaより。編集はCanva・ペイント・パワーポイント使用。
5か月分の運営報告を書き終えたあたりから、アナリティクスやアドセンスの数値が少し伸びたときがありました。
そうなると楽しくて、しょっちゅうアカウントを見ていたら、夫に言われた英語のことわざです。
そのま~んま直訳しますと、「見られているポットのお湯は沸かない」。少し変化させると、「ポットを見ている内はお湯は沸かない」。
「待つ身は長い」と訳されている方がいて、ピッタリだなと思いました。
何かが起こるのを待っている時間はとても長く感じる、ということです。
そして見たから何かが起こるわけじゃないよ、見てると起こらないよっていう。
お湯が沸くまでじ~っと見るなんてしないですよね。それをしたら、ほんの数分が、とても長く感じられるはずです。
このことわざは、何かを待っているときの時間感覚を表現しているだけで、道徳ポイントを押し出す感じがしない所が可愛いし、使いやすいなと思います。
もちろん学ぼうと思えば、「じっと見つめる」ことと「お湯が沸く」ことには因果関係が無い、見たからお湯が沸くわけじゃないんだから、有用なことをしろ、というメッセージを受け取れます。
「待ってると来ない」から、あまり思い詰めないで、という雰囲気も出せますね。
「ま~た見てる」、とからかう感じでも使えます。(夫はそんな感じでした。)
ヤレヤレという感じで、「ホント、待ってると長いよね・・・」というコメントにもなります。誰かに声をかけるとき、自分のことを言うとき、両方で使えます。
ついつい、データを見てはため息をついてしまうこと、ありませんか?
そんな時、「お湯が沸くまでじ~っと見てるのと同じことしてるのか・・・」と思うと、ばからしくなるというか、見ててもしょうがないか・・・と思えるかもしれません。
私自身、自分に言い聞かせているところです。広告もどるかな~って、つい見てしまうので。
かといって、「お湯をかけたままほっぽておくと、噴き出して1.7秒で火事になる」というのを付け足してアレンジしている方もいました。確かに、アナリティクスやアドセンスのデータも、あんまりほっぽっておくと、私のように異変に気が付かないまま広告制限、という展開になる恐れがあるので、やはり定期的なチェックは必要です。
ここ数週間、広告表示や制限について検索し続けて、そのことで頭がいっぱいになってしまって、本来書きたいことを進められず、他のこともおろそかになり、負のサイクルにはまったので、少しブログをお休みします。自分で沸かすことができないポットを凝視している状態★。これは良くない。
ブログを始めて7か月間、朝活の時間を1分も無駄にしたくないというテンションでガツガツしておりましたが、明日からしばらくは、ゆっくりお湯を沸かして紅茶でも飲みつつ、リラックスしようと思います。
しばらくおいとまいたします。
皆さまのブログライフがハッピーでありますように!
2019年11月 千里の道も一歩から
リュック・帽子・水筒のイラストは:
アウトドアアイコンは無料イラスト・tumtumさんのイラスト
紅葉の山道のイラストは:
紅葉の山道2は無料イラスト・kanikanisanさんのイラスト
私は、「ことわざ」とか「故事成語」が好きです。何かにつけ、そういうのをねじ込んできた母の影響かもしれません。
長々とした理屈を省いて、堂々と、端的に大切なことを教えてくれるものですね。
大昔から、皆に愛されて残ってきたというのも、浪漫を感じます。何人もの人を支えてきたのでしょう。
これは、『老子』からの言葉だそうです。『両手で抱えるほどの大木でも、毛先ほどの小さな芽から成長し、九層にも及ぶ高台も、小さな土を重ねることから着手し、千里の道のりも足下の一歩から始まる』(引用元:故事ことわざ辞典)という部分からきているそうです。
気が遠くなることも多々ありますが、小さな芽を育てていこうと思います。
ちなみに、母が一番多用していたのは、『親の小言と茄子の花は千に一つの無駄もない』。
『茄子は花が咲くと必ず実をつけることから、親の忠告には何一つむだがないというたとえ。』(引用元:コトバンク)
つまり、親に大変都合のよいことわざです。
ホント調子がいいんだから・・・。
私はこれを、小学校低学年で知っていたような気がします。『亀の甲より年の劫』も同じくです。
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