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・・・あれ?素直で元気なあの子はどこへ行った?と心配になった月でした。
母子共々荒れていました。
泣きたいの
このセリフ・・・数か月、時々言っていました。
「泣く練習をしたい」とか。
最初の頃は何となく、「へー。そうなんだー。」みたいに、あえて普通に返事をしていたのですが。(あんまり深追いしたくない予感があって★。)
長く続きまして。
段々イライラしてしまって。
「もー、何でよ?」みたいな。
そして実際、彼女的に「実戦練習」をしていたのか、泣きが長いという場面が多くなってきて。
泣けそうなキッカケを掴もうとしている節もありました。
つまり、以前なら泣かなかったであろう程度で泣いたり。
余裕があると、あたたかくヨシヨシできるのですが、そうしながらも、「これって・・・対応として合っているのかな」という不安はありました。
「わざとの泣き」を助長させてない?っていう迷い。
心配はありましたが、他にどうすべきかも分からず、できるときはそうしていました。
余裕がないときは心ない対応になり、娘の泣きはひどくなり、イライラだけじゃなくて罪悪感もセットでついてくるという・・・。最悪。
育児に正解はないとはいえ、それにしても「望ましい対応」からもかけ離れていたときも多々ありました。
ただ、何か、この「泣き」がまた無くなっています。
チョコチョコと数か月、酷かったのは最後3週間くらいだったと思います。
「2歳前後のイヤイヤ」はあまりにも有名なので、「ヤレヤレ、いつ終わってくれるやら」と思えると思います。「この子はこういう子」っていう見方ではなくて。
4歳って、私は知識としては特に何も無かったので、「こういう子になっちゃった?」って思ってしまって、ストレスと心配が膨れ上がりました。
その後の様子を見ていると、そういうことでは無かったと思いますし、例えそうだったとしても、「なっちゃった」は失礼だったと反省。これからの人生があるわけで、一時の状態が永劫続くと考えるほうが不自然です。いろんな出会いと刺激を受けて大きくなっていくことでしょう。
まー、終わったから言えることで、渦中にいるときは中々★。
かの有名な「2歳前後」「ギャングエイジ」「思春期」だけではなくて、そういう「波」があるんだろうなーと感じています。
「荒れる時期」はこれからもあると思うので、「こういう子になったなんて」と思い詰めないようにということを覚えておこうと思います。
ボディ
4歳ともなりますと、口がたちます。
「聞かない」だけではなくて、何か、理屈で言い返してきたり。
「意見を変えない」ことが目標であるかのような振る舞いが見られたり。
娘が頻繁に使った言い訳。
It’s not me! It’s my BODY doing this!!!
(私のせいじゃない!私の体がやってることだもん!!!)
書いてみると、「意外と・・・ほほえましいのか?」という気にもなりますが、お互いイライラしていると、最大級の言い訳・責任逃れにしか聞こえず。爆発したこともあります。
ただ・・・「分かっちゃいるけどやめられない・できない」という事は、自分もたーーーーーくさんあって。
頭で分かっても行動に移せないって、大人でもそうですよね。
そう思い至ったときに、「ボディ」のせいにしちゃうのもアリかもしれないと。
少し声掛けを変えることにしました。
「メイ」に言うのではなく、「ボディ!」に向かって注意します。
初めてのときは、それでウソのようにパッと動いて。
次のときは、「hmmmmmm Body still says no. (ボディがまだダメだって)」とか言って私を怒らせ。
「ボディをコントロールするのはメイなんだよ!!!!」と怒ったら泣き。
再び、それこそが難しいのだったと思い至り。
しばらくして「ボディを体から出しちゃおう」と、パントマイム的に彼女のハートあたりから何かを掴む感じで外に投げ。
彼女はそれを気に入って、自分からしたりもしていました。
あー工夫すれば、こう変化球という具合で。
私の「ボディ!」の声に、「No, it’s not BODY today, it is Body’s grandma.(今日はボディじゃないの、ボディのおばあちゃん)」などと言い、私の血液を沸かしてきます。
落ち着け・・・。まずは聞くことにしよう。
「今日はダレ?今誰がそういうイヤイヤしてるの?」という質問からスタート。
Body’s grandpa.(ボディのおじいちゃん)
「ボディのおじいちゃん!そろそろお片付けお願いします!!!」みたいな。
疲弊。
その後、ボディの息子も登場しています。
それでもまぁ、ボディの登場回数がまた減ってきてはいると思いますし、娘も私も、ボディのせいにすることで、冷静でいられるようにはなっています。
それが正しいかはともかく・・・。
手打ちに向かうテンプレ?ができたような。
終わったとは言えないですが、一時よりは全然いいです。
ちなみに、「聞いてくれない」ことについてママ友4人に話したところ、3人ほど、「うちも!」と帰ってきました。その内1人は、保育園の先生に、「あのー、家で全然いう事聞かないんですけど、園では大丈夫ですか?」という質問をしたくらいだそうで。保育園ではちゃんとしているという返答だったそうです。これ、私も不安になって聞いたのですが、同じでした。
不安定になる時期なのかなー。
ネガティブ
子どもの明るさって本当に無敵というか、我が子に限らず大好きで。
それがですね、11月末・・・くらいかな、娘のネガティブ発言が目立っていました。
例えば、お友だちとプレイデートをします。
絶対に楽しんでいたのに、帰りの車で、
「もうあの子と遊びたくない」とか言ってみたり。
遊んでいる途中に、やけに相手の子について告げ口してきたり。
文句つけたり。
明らかに楽しかった一日を振り返ったとき、最後に、「でもここはイヤだった」と、小さーいマイナスポイントについてコメントをしたり。
自分のネガティブ遺伝子がいっちゃった?
と心配・ストレスでした。
「ネガティブ」は罪でも悪でもありません。
ただやっぱり、生きづらさの元にはなります。自分自身のことから、そう感じています。
だから、チョット待った、ホントやめて、お願い、ポジティブのままでいてよ、と神経質に反応してしまったのです。娘には言っていませんが。
ENJOY!!!楽しんで!という、ポジティブであるはずの言葉を、軍隊風の顔で言っちゃう私。
楽しめという命令。
どうなの、それ。
と今なら分かりますが、イライラしていたのです。
何でそんなに文句ばっかり言うの。
そのせいなのか、この時期、公園で誰かと遊んでもどこか歯車が合わずに、避けられたりする場面が多かったような気がしました。私の精神状態も良くなかったので、実際よりもマイナスに見てしまっていたとは思いますが。
娘が避けられる姿を見ると、もろに傷ついちゃう自分がいました。
誤解されたな・・・と感じると、そんな子じゃないんだよ、と介入はしないものの、心で思ってしまうし。
娘の対応がイマイチだと、オイ!ってつっこんでいたり。(意地悪とかでもないのに。)
そんな場面のあとに、いらないアドバイスをしてしまったこともありました。
自分だって、見ず知らずの人と公園でいきなり仲良くしろと言われたらできないことのが多いし、友だちって数じゃないし。
今ならこうして、「普通のこと」を普通に思えるのに、やっぱり気持ちがガタガタだったため、メイのこと嫌わないで、なんて思って。公園での出会いに過剰な期待をする必要もないのに。
不発の反応が続いた時期もあったけど、やっぱり、うまく遊べる相手もいたのにね。
「気が合うか」どうかっていうことを、「嫌われたかどうか」にすり替えないようにしなくては、と肝に銘じています。
そしてもちろん、嫌われることもあるし、嫌われたっていいってことも。
全員に好かれるなんて無理。
相手に誤解させてしまったり、誤解されたり、遊ぼーって言ってうまくいったり、いかなかったり、それを繰り返して、本当にたくさん繰り返して、気が合う相手や、人との距離感、心地良いコミュニケーションを学んでいくんであって。
「今、できてて。」
って4歳児に期待するのは、とんでもなく厳しいことで。
そもそも、私もできてない・・・。
娘も私も、今できていないからって、一生そうとは限らないし。
ついつい比較して、それがすでにできているように思える子がいたとしても、私はその子の「10分」とか、長くたって数時間しか見ていなくて。そうじゃない日だってあるはずで。
「比較」自体良くないと思うのですが、娘を貶めないことと同じくらいに、他の子をやけに見上げてしまうのも辞めるように意識しないと、と思いました。
タイトルの「ネガティブ」は、私のことでございます。
自分がネガティブだから、娘がネガティブ発言をしたときに、ポジティブに返すことが自然にできないときがあって。教科書っぽいポジティブだったりとか。ネガティブ発言の内容ではなくて、その態度にネガティブに反応しちゃったりとか。
中には、軽く流してあげるだけでいいときもあるでしょうに。
・・・子育てって自分が露わになる。
娘のポジティブオーラを吸い取ってばかりいないで、私が笑顔でいることが大切なんでしょうね。
おわりに
昨年の12月の平和な記事と比べると、大分異なる雰囲気になりました。
イベント自体が圧倒的に少ない(ほぼない)というのもありますし、前述したように娘も荒れていて、私ももう、いっぱいいっぱいで。実は一件、まだ気持ちの整理がつかなくて書けない育児事件もあり★。
写真を見直すと、楽しいクリスマスのイベント、2回のお泊り会、自宅でのパーティー、遠出のドライブなどいろいろありました。荒れつつも、笑顔もたくさんありました。
私はずっと、三浦春馬さんのことがショックで、苦しくて、喪失感やら何やら、そこから派生して育児や自分や社会のことまでマイナスに考えてしまって、心が鉛になったような時間がたくさんありました。
12月は、note.comでアカウントをとり、書くことで気持ちを整理していました。その気持ちに向き合って、何とかしないといけない状況にきていました。
自分が何かを書いたとき、スキがつくと、やっぱり嬉しいもので、分かってもらえたり、伝わったりしたのかもしれないと感じるとじーんとしました。
「分かってもらえた」というレベルを超えて、「バレてる・・・」と感じたことも2度ほどあって(もちろん私の勘違いという可能性もあるんですけど)、無性に泣けて。何でだろう、どうしてバレるのかなと思いながらの涙は、いろんなことを洗い流してくれました。
1月になり、そのおかげもあり、長くとった休暇の効果もあり、気持ちが楽になってきたことを感じています。ご縁に感謝しつつ、格闘していた娘と自分もあたたかい目で見ようと思います。
次の月はこちら。
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